スパイダー・パンチを受けたタランチュラ・テツヲは、勢いよくその場から吹き飛んで背後にあった岩を砕き、うつぶせに倒れた。
するとその体が一瞬だけ眩く光り、黒い衣装は消え去った。
変身の解けたタランチュラ・テツヲの背に、大きなクモが乗っている。
クモゴロウ「タランチュラ!」
スパイダー・リンの衣装、クモゴロウが心配そうに声を上げた。
しかし、クモゴロウがタランチュラと呼んだ大きなクモは、どう見てもタランチュラの語源になったといわれるクモ、タランチュラコモリグモではなかった。
タランチュラと呼ばれたクモは、明らかにアシダカグモだったのだ。
↓なぜか小説世界観とは関係ない普通の説明文です
アシダカグモ、日本の家庭にもよく居るクモの中で最大級の大きさを誇るクモ。
足を広げればCD1枚分くらいになり、網を張らない徘徊性のクモで、その動きはとにかく早い。
江戸時代に衛生害虫駆除の用途で日本に持ち込まれ、生まれてすぐにバルーニングする習性のためか一気に日本全土へ広まった。
輸入された理由からも分かるとおり、室内性の益虫の中では最高峰の戦果が期待できる。
ゴキブリ・ハエにとどまらず、小さいネズミまで食べ、食事の最中に獲物を見つければ優先してそちらを狙う優秀なハンターであるからだ。
アシダカグモが2・3匹いる家では、そこに住むゴキブリは半年で全滅するという説まである。
そして、あの有名な「蜘蛛の子を散らす」という慣用句は、このクモの子の生まれてすぐの様子をモデルにしたものである。
アシダカグモのタランチュラは、タランチュラ・テツヲの背から飛び降りると、力尽きたように足を震わせ崩れ落ちた。
見れば、その体からはゆらゆらと黒い霧のようなものが躍るように沸き立ち、みるみるうちに朝焼けの空へと舞い上がる。
クモゴロウ「あ、あれは!黒い霧だっちゃ!」
スパイダー・リン「うん。見たままだよね」
クモゴロウ「違うもん!そういう意味じゃねっぺ!
アレは『黒い霧』、とり付いた者の心を怒りや憎しみに染め上げて操る魔法の生物ザマス!」
スパイダー・リン「心を?それじゃタランチュラは操られていたの!?」
黒い霧を油断無く睨み付け、身構えるスパイダー・リン。
一度は倒れたタランチュラもよろよろと立ち上がり、黒い霧から少しずつ距離を置いた。
クモゴロウ「タランチュラ!大丈夫でゴザルか!?」
タランチュラ「ええ・・・私は大丈夫。
それよりも・・・」
タランチュラが黒い霧を見上げると、黒い霧は大気に溶けるように消え去り、後には何も残らなかった。
タランチュラ・テツヲも重そうに体を起こし、低く呻きながらスパイダー・リンを振り向いた。
ゼロの仮面をつけず、漆黒の衣装も消え去ったタランチュラ・テツヲの正体は、なんと驚きべき事に、
便利屋の小さな女リンが、アンヴィルで出会ったこれまた小さな男テツヲであった。
あまりに予想外の正体であったためか、スパイダー・リンは石のように固まり、テツヲの顔をじっと見つめ続けた。
テツヲ「驚いたかい、スパイダー・リン。
まさか僕が、変身が解けても小さいままだなんて思わなかっただろう?」
静かに問いかけるその姿は、観念したかのように見える。
だが問いかけるテツヲの言葉に、スパイダー・リンが答える事はなく、代わりにクモゴロウが言った。
クモゴロウ「な、なんでやねん!どって君がアンヴィルにあげなこつしたとね!?」
テツヲ「ふん。なんで・・・だと・・・答えは簡単だ!復讐だよ!
あの街の奴らはいつでも僕を見下して影で笑い、除け者にしてきたんだ!
あんな街壊されて当然だろう!」
突如として激昂するテツヲ。
スパイダー・リン「な、何を言っているの?」
テツヲ「僕は知っている!
アイツらの笑顔は全部嘘だって事を!
本当は小さくて何も出来ない僕を馬鹿にして、疎ましがっているんだ!」
スパイダー・リン「???」
テツヲ「いつだってそうなんだ!
僕に気を使ってるフリをして、裏では悪口を言って!
アイツらの目が僕に出て行けって言ってるんだ!分かるんだよ!そんな事は!」
喚き散らすテツヲには、さすがのスパイダー・リンも手に余るのか何も言う事はなかった。
スパイダー・リン「クモゴロウ、黒い霧は心を操るって言ってたよね?
じゃあテツヲ君も・・・」
タランチュラ「いいえ、テツヲは黒い霧に操られていないわ。
黒い霧は私だけに取り付いていたの」
スパイダー・リン「そんな・・・そんなわけない!!
テツヲ君が自分の意思でアンヴィルを襲おうとしてたって言うの!?
そ、それにあんな事いうテツヲ君、違う・・・変だよ!!」
テツヲの声を掻き消すくらいの大声をスパイダー・リンが上げると、テツヲは落ち着きを取り戻したのか、また静かな声に戻った。
テツヲ「変。
そう思うだろうね、僕は変だよ。この小さい体、普通じゃないさ。
君には僕の気持ちなんて分からない。君の体は変身が解ければ普通のサイズに戻るんだろ?
日常生活も助け無しにはやっていけない僕の気持ちが・・・」
スパイダー・リン「・・・分かるよ」
テツヲに最後まで言わせずにスパイダー・リンはそれだけ言って、体から鋭い光を放ち、変身を解いた。
テツヲ「君に何が分かるって・・・・
!?
そ、そんな!!そんな事が!!」
スパイダー・リンの正体を見たテツヲは、目と口を大きく開いて後ずさりし喉から搾り出すような声を上げ、驚きを体全体で表した。
何をそんなに驚く事があるのだろうと、読者諸君は思っているだろう。
だがテツヲの反応には何もおかしいところなど無い。
スパイダー・リンの正体はそれほど驚きのものだった。
スパイダー・リンの正体、その体はとても小さくテツヲのようで、金髪を腰まで垂らし、上半身には軽鎧を付け黒のロングスカートをはいた女であった。
そう、その正体とは・・・天空の城の便利屋の1人、小さな女リンだったのだ!!!11!!
まさか彼女がスパイダー・リンだったなんて、一体誰が想像したろう。
いや、ここで正体を知るまで読者諸君も出番の少ないキャラだなぁと思っていたに違いない。
変身した姿と、普通の状態では胸の大きさが一目瞭然に違うのだ。
分かるはずが無い。
ついでにスパイダー・リンの衣装の正体は、あの喋るクモの蜘蛛悟郎である。
リン「分かるよ・・・だって私も、テツヲ君と同じような人間だから」
テツヲ「な、なんで・・・」
テツヲは震えた。その正体を知って。
テツヲ「君には分かるはずなんだ。
アンヴィルの人達を見ただろ?アレは表面だけ・・・」
リン「違う」
リンはまたしてもテツヲの言葉を遮った。
リン「違うよ・・・私は知ってるから」
テツヲ「・・・何を、知ってるんだ・・?」
リン「本当の悪意を」
リンに言わせれば、テツヲのアンヴィル住民への評価は悲しい思い込みだった。
リンは知っている。
父親に連れられて、働き口を見つけに言った時の、店・街の人々の表情を。
奇異の目、疎ましがる表情、早くどこかに行ってくれと遠巻きに言われた言葉。
その全てを覚えている。心の傷として。
だがアンヴィル住民はそんな事はしていない。
リンにはその確信があった。
リン「テツヲ君は、アンヴィルから出た事が無いんだよね?だから、分からなかったんだよ」
テツヲ「僕は分かってる!全部!
本当の悪意?それはアンヴィルの人達が僕に向けているものだ!
わかっていないのは君の方だ!」
テツヲの言う全ては、やはり悲しい思い込みである。リンはそう思った。
自分の為に門を開けてくれた門番、踏まれないようにと一緒に歩いてくれたおばさん。
テツヲと一緒に行った店で、オマケしてくれた優しい店主。
全てが優しい街であった。
だからこそ、テツヲには分からないのだ。
悪意が。
本当の悪意を知らないまま、テツヲは悪意という知識を得て、優しいものも何もかもが全てそうであると思い込んでしまっていた。
テツヲ「君は僕と同じだと思っていたのに。
だから、だから僕は・・・・」
顔を醜く歪ませ、テツヲは何かを言おうとするが、言葉にならない。
と、そんな時であった。
朝日が昇り、明るくなった空に、黒い影が突然現れた。
その影はみるみるうちにテツヲに迫り、その体内に入ってゆく。
蜘蛛悟郎「黒い霧だじぇえええ!」
タランチュラ「テツヲ逃げて!」
叫ぶクモたちの声は虚しく木霊し、黒い霧はテツヲの中に入り込んだ。
テツヲは黒い蒸気のようなものを体からほとばしらせてリンへと近づく。
リン「て、テツヲ君?」
そして、その手をリンのか細い首へとかけた。
両手の血管が浮き出すほどに力を込めて、リンの首を絞める。
テツヲ「コロシ・コロシテヤル!僕は分かってるんだ!ナニモワカッテイナイ!
キミガ!あの司祭も!ゼンブ!違うかもしれない!」
もの凄い力で首を絞められたリンの視界は一気に狭くなった。
だが彼女はテツヲの目から視線を外さずに、何かを言おうとした。
しかし首を絞められ声は出ず、ただ口のみが小さく動くだけであった。
だが、テツヲはリンの首から手を離した。
そして自らの頭を抱え、地に倒れてのた打ち回る。
彼は自分の中に入り込んだ黒い霧と戦っているのだ。
蜘蛛悟郎「変身でゴザル!」
その隙を突いて蜘蛛悟郎がリンの手に噛み付き、ハエ取り蜘蛛には本来ありえない毒を注入した。
それはクモ・チャンピョンのみが使える毒であった。
CAS登録番号57-24-9にあるストリキニーネと化学式が非常に良く似た毒であるが、その毒性は遥かに高い。
激しい強直性痙攣、後弓反張、痙笑が直ちに起こり、普通なら数秒で死に至ってしまうが、
それを耐えた者には素晴らしい力が与えられる。
そう、リンはその毒に耐えスパイダー・リンに変身していたのだ!
テツヲ「そんな、こと、したくない・・・ノニイイイイイイアンヴィル!」
リンが変身した直後、テツヲは狂ったように走り出した。
切り立った崖へと向かって。
テツヲ「させない!させせせせテエエエエエエエエエエ!!」
そしてスパイダー・リンが止める間もなく崖に向かってジャンプした。
タランチュラ「テツヲ!!」
蜘蛛悟郎と一緒に飛び出し、テツヲに向かって走っていたタランチュラもそれに続くように崖底に飛び込む。
スパイダー・リンもテツヲを助けようとしたが、なぜか体がピクリとも動かなかった。
スパイダー・リン「く、蜘蛛悟郎!?なんで邪魔を!?」
蜘蛛悟郎「まんずあかん!どげに頑丈なスパイダー・リンっつてもこの高さから落ちたら死んじまうったい!」
スパイダー・リン「だってテツヲ君が!
タランチュラだって落ちたんだよ!
助けなきゃ!
私は、正義の味方なんだよ!?」
スパイダー・リンが落ち着くまで、自身もタランチュラを助けに行きたい衝動を抑えながら蜘蛛悟郎は彼女を制止し続けた。
そして、
スパイダー・リン「蜘蛛悟郎、もう離して・・・飛び降りたりしないから」
消え入りそうな声で言うと、体から光が一瞬放たれ、リンは変身から解かれた。
そして崖の側までフラフラと歩くと、その場に跪いてテツヲの名を叫び、両の目からは洪水のように涙を流した。
崖の底には、デコボコとした岩と木が点在しているだけで、テツヲの姿をリンは見つける事がついにできなかった。
その日は雲一つ無い晴天で、鳥は空を楽しそうに飛び回り、
冷たくもすがすがしい空気の山頂からは、リンの悲痛な叫びと泣き声がいつまでも木霊していた。